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「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」「イタリア紀行」「詩と真実」などで知られるドイツの詩人ゲーテの言葉から、自分に役立ちそうなものを抜粋しております。気になった言葉や詳しい背景はご自身でお調べになることをおすすめします。

2024

0519
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2016

1022
1823年11月24日の記録にこんなゲーテとエッカーマンのやりとりがある。

「君は素晴らしい才能があるね。もしよそから文学上の依頼が来るようなことがあったら、一応断るか、少なくとも前もって私に話してほしいな。こうやって一旦私との繋がりができたのだから、他の人との縁結びは、私は望んでいないのだよ」
「私はあなたについていきたいと思うだけで、さしあたりよそとの縁結びなど全然問題にしていません」――ゲーテとの対話(上)より。

 これはゲーテがエッカーマンを助手として引き留めるために、あらかじめ釘を刺しておいたのである。多忙なゲーテは自分の全集に関してさえ一人ではまとめきれなかった。かと言ってそこらの男を雇っても役に立たないし、役に立ってくれそうな男はよそでそれなり以上の賃金を貰っている。ゲーテにとってエッカーマンは、教養を身につけてやりさえすれば安価かつ有用な、願ってもない相手だったのだ。またエッカーマンはエッカーマンで教えられることを望んでいたのだから、両者の関係はWIN&WINで始まったと言える。
 ゲーテの死までの9年間で、エッカーマンは単なる助手から本当の友人に昇格していく。そして詩人の死後は、「ゲーテとの対話」を著して偉大な魂を保存する役を務めるのである。
 ゲーテは「対話」の存在を生前から知っていた。そしてエッカーマンにはその発行を己の死んだ後にせよと命じた。おそらく彼はエッカーマンの「対話」が自分にとってどういう書物になるのかわかっていたのだろう。
 エッカーマンの5つ年下だった詩人ハイネは「対話」に関してこう言っている。ゲーテは死後もこの世に己を残そうとした、と。事実エッカーマンの「対話」でゲーテの人生は芸術作品として完成した。自伝、日記、年代記、旅行記、書簡、戯曲に詩に散文に論文。ゲーテは実に様々な体験と知見を書き残したが、己の死だけは書けなかった。しかもエッカーマンが鏡となって記したのは、大成された老ゲーテだ。つまり最後に、ゲーテのゲーテたる結晶を取り出して保存する人物が現れたのだ。
 書物にはその運命がある。これはエッカーマンが「対話」の前書きに記した古くからある言葉である。エッカーマンの草稿を読んだとき、ゲーテは運命という魔神の大きな力を感じたのではなかろうか。
 詩人の死から200年近くを経てもなお、エッカーマンの残した結晶は輝き続けている。





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2016

1021
『何をすることも、まとめることもできはしない。それだけの気力がなくなってしまっている』――ゲーテとの対話(上)より。

 風邪を引いて以来、一向に体調の良くならないゲーテは上記のごとくぼやいた。
 ためになる言葉というわけではないが、かの文豪にもやる気の出ない日があったり、何も手につかない日があったのだなと思うと親近感がわいてくる。と同時に健康の大切さも身に染みる。やる気があっても時間がなければ、時間があっても健康がなければ、健康でもやる気がなければ何も完成はしないのだ。
 ゲーテには無関係だが、四つ葉のクローバーの葉はそれぞれ「名誉」「富」「愛」「健康」を意味していると聞く。人間はまず名誉を欲し、それに見合う富を欲し、満たされない己に気づいて愛を欲し、力衰えて健康を欲するという人生縮図が目に見えるかのようである。創作における四つ葉のクローバーは「才能」「時間」「愛」「健康」というところだろうか。時間は根気、愛は情熱と言い換えてもいいかもしれない。






2016

1020
『詩はね、おなじ言葉というものでできている以上、また言葉を一つ付け足せば、他の言葉が死んでしまうのだ』――ゲーテとの対話(上)より。

 これはゲーテの芸術的だが難解な詩に対して、エッカーマンが「書いた動機や注釈を入れて世間の人にもわかりやすくすればどうか」と提案したのに詩人が返した言葉である。それな、としか言いようがない。一つ言葉を入れ替えただけでも芋づる式の修正が始まるのは何故なのだろう。やはり文章というものが――特に詩という代物は――リズムと切っても切り離せない仲だからだろうか。
 プロの脚本家は全ての台詞をきっちり音読するという。映像化を意識した作家・漫画家も登場人物の台詞は声に出しやすいかどうか検討するそうだ。詩ではなくても音読してみるというのは結構大事なことかもしれない。

 ところでこの日のゲーテは風邪を引いていた。もう随分な高齢だし、咳き込むときに心臓を押さえるような仕草を見せるのでエッカーマンは詩など半分そっちのけで心配している。「ゲーテとの対話」には随所にこういった人間的な交わりが散りばめられており、心温まるのが良い。






2016

1019
『誰でも旅行をするについては、何を見るべきか、何が自分に大切かを知っていなければならない』――ゲーテとの対話(上)より。

 エッカーマンがゲーテのスイス紀行について、ゲーテがありとあらゆる事象――山脈の形態や位置、岩質、土壌、河川、雲、空気、風、気象、都市の成立の由来、歴史、建築、絵画、劇場、都市制度、行政、産業、経済、道路計画、人種、生活様式、習俗、政治や軍事――に目を向けていることを褒めたとき、ゲーテは「しかしね、音楽のことにはふれていないだろう。それは、音楽は私の領分ではないからなのだ」と答えた。旅行中、吸収するべきことの取捨選択をし、優先順位をつけていたことは間違いない。
 こういった予習をするのとしないのとでは大違いだ。更に大切なのは、見たものや感じたことを書きとめておくことだと思う。
 人間の記憶力には限界がある。何かいいこと、面白いことを聞いたという印象だけ覚えていて、肝心の内容は思い出せないということが私にはよくある。せめて観光旅行の記録くらいは、己の頭を過信せず、どこかに残しておくようにしたい。
 ちなみにゲーテは、気に入った場所でスケッチを取り、画力の及ばない部分は空白にして文章で描写するということをしていた。これは結構いい方法なのではなかろうか。私の場合、デジカメのシャッターを切るだけだが、そこに二、三の言葉を付け加えるだけで更に多くの印象を留めておける気がする。
 ゲーテの親友シラーは詩人から聞いたスイス旅行の話をもとに「ウィリアム・テル」を書いたという。ゲーテの細緻な自然描写にあやかりたいものだ。







2016

1018
ヨハン・ペーター・エッカーマンはゲーテの晩年の友人である。ゲーテ関連書でたびたび秘書と記されているように、彼の役割は傍目にはかなり事務的なものだった。その主な仕事内容はゲーテ全集の編集で、エッカーマンは詩人の死後もこの仕事に忙殺されている。が、しかし、彼はゲーテの秘書ではなかった。いくつかの例外を除き、ほとんど金をもらっていなかったのだ。
 エッカーマン自身、ゲーテと自分の関係を給金によって結ばれたものではないとしている。師弟であり、友人であり、協力者であったので、秘書と呼ばれることに抵抗を感じていたようだ。彼の墓にはただ「ゲーテの友人」と刻まれている。

 さて、そんなエッカーマンが「ゲーテとの対話」を綴り始めたのはまだゲーテ存命の頃だ。ちょっとしたメモ魔だった彼は、詩人の深みある言葉を熱心に書きとめていた。それがこの著の原型になったのである。
 1823年10月29日の記録に面白いことが書かれている。今日はゲーテではなくエッカーマンの言葉を取り上げたい。

『詩人が平凡にしか描けなかった人物でも、上演すると、案外うまくいくものである。それは、演ずる俳優が生きた人間であるために、劇中の人物も生かされるようになって、ある種の個性を与えられるからである。それに反して、大詩人が素晴らしく描きだした人物は、それ自体すでにただならぬ鋭い個性を持っているから、演出に当たって必ず失敗をまぬがれない。とても普通では俳優に(最適な)人を得られないし、俳優自身の持つ個性をどこまでも抑制しきれる者はほとんどいないからである。台本にうってつけのはまり役が見つからず、あるいはまた、俳優が自分個人を完全に脱却する才能を持ち合わせない場合には、混合物ができあがってしまって、作中の人物は純粋性を失うに至る。それゆえ、真に偉大な詩人の作品では、本来の意向通りに演じる俳優は常にわずかしかいないのである』――ゲーテとの対話(上)より。

 ゲーテとの談話を記録として残した人物はエッカーマンだけではない。しかしエッカーマンの「対話」だけが並々ならぬ評価を得ているのは、エッカーマンが文章における己の個性を可能な限り排除して、真に偉大な詩人の輝きを減ずるまいと努めたからだと言われている。上記の彼の演劇観にはその片鱗が表れているのではなかろうか。
 エッカーマンはひたすらにゲーテの影に徹した。「ゲーテのおうむ」「ゲーテの言ったことを”そのまま”書き起こしているだけ」と揶揄された彼は、寧ろ「してやったり」とほくそ笑んだそうである。彼の狙った効果はまさにそれだったからだ。
 誰しも自己顕示欲を持つものだ。だがエッカーマンは己の著作の中ですら出しゃばらなかった。あまたの出版社から世に送り出された、とあるゲーテ全集(※エッカーマンが編集に関わったものではない)では「エッカーマンの対話ならゲーテの作品に数えてもいいだろう」とその締めくくりを飾ったほどである。

 窮乏のうちに死んだエッカーマンは、彼の人生を吸い尽くしたゲーテを恨んでも良さそうなのに、そうしなかった。強烈な光の投じる巨大な影を演じることができた彼も、目立ちにくいが非凡な才を持っていたのだろう。「ゲーテとの対話」は詩人を崇める者たちの福音書となり、ゲーテの死後もゲーテの著作を布教するという大任を果たしている。







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