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「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」「イタリア紀行」「詩と真実」などで知られるドイツの詩人ゲーテの言葉から、自分に役立ちそうなものを抜粋しております。気になった言葉や詳しい背景はご自身でお調べになることをおすすめします。

2025

0203
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2016

1015
『われわれ老人の言うことを誰がきくかな。誰でも自分自身が一番よく知っていると思い込んでいる。それで多くの人が失敗し、多くの人が長く迷わねばならない』――ゲーテとの対話(上)より。

 先人のアドバイスには耳を傾けてみなさいという老詩人のありがたい忠告である。本当に、1823年9月15日の記録については、少々長いのだが全文暗記したいくらいの密度がある。
 駆け出しの創作者は大きな対象ではなく小さな対象を取り扱うべきだというのが話題の重点に置かれているのだが、イフィゲーニエ(※ギリシャ神話に登場する女性)のような、何度書かれているか知れない既成作品を対象にすることもゲーテは推奨している。二次創作から一次創作にシフトしていった私にはなかなか興味深い発言だ。なおタイトルにあげた言葉はこう続く。

 ――しかし、今はもう迷う時代ではないよ。われわれ老人の時代はそれだったんだが、それにしても、君たちのような若い人たちがまたしても同じ道を辿ろうということになると、一体われわれが求めたり迷ったりしたことの全てはなんの役に立ったことになるのだろう。それでは全然進歩がない! われわれ老人のあやまちは許してもらえる。われわれの歩んだ道はまだ拓かれていなかったのだから、またしても迷ったり探したりすべきではない。老人の忠告を役立てて、まっしぐらによい道を進んでいくべきだ。いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。

 ゲーテは偉大な先人や古典に学べとしばしば口にする。現在あるものを軽んじているわけではなく、巨匠と呼ばれる人々は最短最速でまっしぐらに花開いているのでそこに学べというわけだ。
 ここでの巨匠はやはりゲーテ本人だろう。小作品で鍛錬を積み、いきなり大作に挑まないこと。考えてみれば当たり前の指導なのだが、不慣れなうちに立て続けに長編小説を仕上げようとして全く楽しくない歳月を過ごした身としては耳が痛い。長い道を歩くには準備が必要なのである。
 エッカーマンではないけれど、この日のゲーテの言葉のおかげで私も一気に数年分賢くなれたような気がする。








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2016

1014
『あまり大作は用心したほうがいいね!』――ゲーテとの対話(上)より。

 これはまだ創作活動そのものに慣れていないエッカーマンに対してかけられた助言である。
 小さな作品を書くには自分の思うがままに描写できる対象を選ぶだけでいい。しかし大きな作品を書こうと思うと多面性を要求される。知識やものの見方の足りていない部分は穴だらけになってしまうし、苦労して仕上げたところで不完全なものにしかならない。だから最初は小さな対象だけを取り扱うように、というわけだ。「対話」の中でもなるほどとうならされた至言の一つである。
 ゲーテ曰く、「もっと大きな作品のことが頭にあると、それと並んでは他の何も浮かんでこなくなり、生活そのもののゆとりまでなくなってしまう」ということだ。い、いかん。身に覚えがありすぎる。どうして大がかりな作品に手をつけはじめる前にこの言葉に出会わなかったのかと悔やまれてならない。
 1823年9月18日の記録には他にも参考になることが書かれているので後日また取り上げることにする。ちなみにエッカーマンも「なんとも貴重な、一生ためになる話であった」と大感激してこの日の出来事を書き綴っている。








2016

1013
『そもそも君の専門ではないけれども、君のやっぱり知っておかねばならないことがたくさんあるのだ。ただそれにあまり時間をかけないで、早くそれを卒業してしまうことが肝心だ』――ゲーテとの対話(上)より。

 これとはまた別のゲーテの言葉に、書くべき何かを持っていなくても言葉遊びで詩は作れるが、書くべき何かを持っていないと小説を書くことはできないというものがある。経験、知識、他者との関係の中で得られる発見、何かと言っても様々だが、面倒がらずに外に出ていく習慣をつけたいものだ。

 なおゲーテはエッカーマンにすぐれた人々との付き合いや、図書館に赴くこと、劇場に舞台を観にいくことなどを勧めている。そしてエッカーマンはゲーテと言葉を交わしながら、全身全霊をあげてこの老詩人に献身したい、彼についていこうと決意を固めるのであった。






2016

1012
『静かに仕事を続けていてください。結局そこから、世界の展望も、経験も、最も確実にまた純粋に生まれてくるのです』――ゲーテとの対話(上)より。

 ゲーテが最初にエッカーマンに依頼した仕事は、ゲーテが若い頃「フランクフルト学芸新聞」に載せた小評論を編纂し、目次を作るというものだった。この仕事によってゲーテはエッカーマンが己の望む助手になり得るか否かを判断しようとしたのである。そんなこととは露知らず、エッカーマンはひたむきに巨匠の依頼に取り組んだ。そして彼はゲーテが死ぬまで、否、ゲーテの死後も詩人の膝元に繋ぎとめられることになる。

 ところでこの言葉の「仕事」というのは「創作活動」と言い換えることができると思う。頭の中で壮大な世界をこねくり回しているのは楽しいが、それだけでは活動とは言えない。またアウトプットを通して初めて見えてくる、己に不足している知識、技術、経験などもあるだろう。書き出すことで次に進むべき道も自然と見えてくるわけである。
 最初から完全なものを作ろうとしても不可能だ。常に実力の100%を発揮できるとも限らない。私個人の実感としては、コンスタントに70%の力を発揮できていればかなり上々だと思う。そういう積み重ねの中で、少しずつ100%に近づいていけたらいい。一足飛びに進んでいけない凡人は、気長に地道にやっていくのが最善だろう――というのが今のところの私の考えである。








2016

1011

『一事を明確に処理できる人は、他の多くのことでも役に立つ』――ゲーテとの対話(上)より

 「ゲーテとの対話」は晩年のゲーテの友人、エッカーマンが記した詩人との対話記録である。ゲーテの作品ではないが、ゲーテの考えや人柄などを最も忠実に伝えているとされている。その内容は「神は死んだ!」でお馴染みの哲学者ニーチェが「ドイツのあらゆる書物の中で最良の書」と評したほど。
 この本の中でゲーテは、己の作品は大衆のためではなく、芸術や創作に携わる人たちのためにあると明言している。

 なおこの言葉はエッカーマンとゲーテが出会った最初の日に交わされた会話の一部である。エッカーマンは年老いた王者を思わせるゲーテの「平静な偉大さ」に胸打たれ、すぐさまメロメロ状態になってしまうのが微笑ましい。
 このときエッカーマン31歳、ゲーテ74歳。老ゲーテはこれまでの著作をまとめた全集の発行のため、助手となってくれる人材を探していたのだった。








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