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「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」「イタリア紀行」「詩と真実」などで知られるドイツの詩人ゲーテの言葉から、自分に役立ちそうなものを抜粋しております。気になった言葉や詳しい背景はご自身でお調べになることをおすすめします。

2025

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2016

1017
『特殊なものを把握し描写するということが芸術本来の生命でもあるのだよ』――ゲーテとの対話(上)より。

 一般的なものに留まっている限り、誰にでも真似されてしまうが、特殊なものではそうはいかない。他の人たちはそれを体験していないからだ、とゲーテは続ける。芸術作品が長く息を保つにはありきたりではいけないというわけだ。更にゲーテは、特殊なものは人の共鳴を呼ばないのではと恐れる必要はないとも語る。万物は回帰して、ただの一度しか世界に存在しなかったものはないし、どんな特異なものであっても普遍性を有しているからだ、と。個性的であると同時に普遍的であるということが長命な作品の要らしい。
 ところで「特殊なものは人の共鳴を呼ばないのではと恐れる必要はない」に関してだが、これは本当にそう思う。創作界隈では他人の共感を得られないかもしれないことを異常に恐れる人がいるが、構想を聞いてみると「そんなに気にするほどか?」と首をかしげることが少なくない。仕上げてみたら当初考えていたものと全然違うものが生まれたというのもよくある話なのだし、そんなときは作ってから考えてみてもいいのではなかろうか。

 なおゲーテは、個性的な描写には構成が深く関わっている、と発言している。が、エッカーマンはこの点についてあまり詳しく問うていない。甚だ残念である。






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2016

1016
『しかし、彼らの多くには、軽妙な生き生きした描写の能力が欠けているよ。自分の力以上のことをやろうとばかりしてね。この点で、私は彼らのことを、無理をする才能と呼びたいのだ』――ゲーテとの対話(上)より。

 ゲーテは「己の本領にとどまって能力以上のことに手を出さなければ良いものができる」と言う。力が足りていないうちは作品を完成させることよりも力をつけることを優先しなければならない、とそういう戒めであろう。
 しかし取り組んでみなければ書けるか書けないかは案外実感できないものである。時には能力以上のものに手を出してみて、不足部分を知るのもいい勉強かもしれない。








2016

1015
『われわれ老人の言うことを誰がきくかな。誰でも自分自身が一番よく知っていると思い込んでいる。それで多くの人が失敗し、多くの人が長く迷わねばならない』――ゲーテとの対話(上)より。

 先人のアドバイスには耳を傾けてみなさいという老詩人のありがたい忠告である。本当に、1823年9月15日の記録については、少々長いのだが全文暗記したいくらいの密度がある。
 駆け出しの創作者は大きな対象ではなく小さな対象を取り扱うべきだというのが話題の重点に置かれているのだが、イフィゲーニエ(※ギリシャ神話に登場する女性)のような、何度書かれているか知れない既成作品を対象にすることもゲーテは推奨している。二次創作から一次創作にシフトしていった私にはなかなか興味深い発言だ。なおタイトルにあげた言葉はこう続く。

 ――しかし、今はもう迷う時代ではないよ。われわれ老人の時代はそれだったんだが、それにしても、君たちのような若い人たちがまたしても同じ道を辿ろうということになると、一体われわれが求めたり迷ったりしたことの全てはなんの役に立ったことになるのだろう。それでは全然進歩がない! われわれ老人のあやまちは許してもらえる。われわれの歩んだ道はまだ拓かれていなかったのだから、またしても迷ったり探したりすべきではない。老人の忠告を役立てて、まっしぐらによい道を進んでいくべきだ。いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。

 ゲーテは偉大な先人や古典に学べとしばしば口にする。現在あるものを軽んじているわけではなく、巨匠と呼ばれる人々は最短最速でまっしぐらに花開いているのでそこに学べというわけだ。
 ここでの巨匠はやはりゲーテ本人だろう。小作品で鍛錬を積み、いきなり大作に挑まないこと。考えてみれば当たり前の指導なのだが、不慣れなうちに立て続けに長編小説を仕上げようとして全く楽しくない歳月を過ごした身としては耳が痛い。長い道を歩くには準備が必要なのである。
 エッカーマンではないけれど、この日のゲーテの言葉のおかげで私も一気に数年分賢くなれたような気がする。








2016

1014
『あまり大作は用心したほうがいいね!』――ゲーテとの対話(上)より。

 これはまだ創作活動そのものに慣れていないエッカーマンに対してかけられた助言である。
 小さな作品を書くには自分の思うがままに描写できる対象を選ぶだけでいい。しかし大きな作品を書こうと思うと多面性を要求される。知識やものの見方の足りていない部分は穴だらけになってしまうし、苦労して仕上げたところで不完全なものにしかならない。だから最初は小さな対象だけを取り扱うように、というわけだ。「対話」の中でもなるほどとうならされた至言の一つである。
 ゲーテ曰く、「もっと大きな作品のことが頭にあると、それと並んでは他の何も浮かんでこなくなり、生活そのもののゆとりまでなくなってしまう」ということだ。い、いかん。身に覚えがありすぎる。どうして大がかりな作品に手をつけはじめる前にこの言葉に出会わなかったのかと悔やまれてならない。
 1823年9月18日の記録には他にも参考になることが書かれているので後日また取り上げることにする。ちなみにエッカーマンも「なんとも貴重な、一生ためになる話であった」と大感激してこの日の出来事を書き綴っている。








2016

1013
『そもそも君の専門ではないけれども、君のやっぱり知っておかねばならないことがたくさんあるのだ。ただそれにあまり時間をかけないで、早くそれを卒業してしまうことが肝心だ』――ゲーテとの対話(上)より。

 これとはまた別のゲーテの言葉に、書くべき何かを持っていなくても言葉遊びで詩は作れるが、書くべき何かを持っていないと小説を書くことはできないというものがある。経験、知識、他者との関係の中で得られる発見、何かと言っても様々だが、面倒がらずに外に出ていく習慣をつけたいものだ。

 なおゲーテはエッカーマンにすぐれた人々との付き合いや、図書館に赴くこと、劇場に舞台を観にいくことなどを勧めている。そしてエッカーマンはゲーテと言葉を交わしながら、全身全霊をあげてこの老詩人に献身したい、彼についていこうと決意を固めるのであった。






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